「全国総○○状態」なんて言葉が紙面を賑わす事がある。
ワールドカップやオリンピックの時など、すごい勢いで監督の采配にダメだしをしてしまう状態のアレだ。
一般人はいいものとして、メディアでの偏見は最悪だと思う。
僕自身も、我がジャイアンツの情けない状態や、新日本プロレスの我慢ならない状況を目の当たりにして、あれやこれや書くことがある。
ここでも時々、爆発して支離滅裂になることも・・・でも一般人なので許してください・・・m(_ _)m
と、自分の事は棚に上げるとして、先日の相撲で大関の琴欧州が、立会いからいきなり引き落としという技で勝った一番について、ほとんどの新聞の論評は「今場所最高の懸賞がかかった大一番で引き落とし。歓声は一気にため息に・・・」といった感じの口調だったと思う。ここまではいい、状況説明だから。
しかし評論家などの酷評だけを引き出し、いかに引き落としという技が卑怯なのかを書き綴る。そして大関としての資質を問う。
・・・・・・・「なくせ」と、思う。
そんなに引き落としという技が卑怯なのであれば「引き落としがあった一番に限っては、手を土俵に突いても立ち上がってよし」とすればいい。
つまり、引き落とし・・・・という・・・「技」・・・なのに、それで勝ってしまった大関は滅茶苦茶に叩くくらいなら「引き落とし」をなくせと言いたい。
観ている人はいい。
観ている人は、それぞれ自分が望む形での勝ち方に思いをはせながら、それが1秒にも満たない相撲で決着がついてしまったことに対して、怒るのは分かる。
だけど報道機関が鬼の首を取ったように切りまくるのは全然違う。あくまでも感想は観客に委ねるべきなのではないかと考える。
または、酷評した人を出すのであれば、評価した人の話も載せて欲しい。
それと、先日の愛知で起きた立てこもり事件。
(詳細は皆さんご存知だと思いますが)愛知県警やSATの対応・行動に対して強烈なバッシングが起こった一件。
立てこもりが続いている状態の中で何で、たくさんの○○評論家が登場して信じられないくらい無責任な発言を繰り返す。
それが仕事と言われればそこまでだけど、倒れていた警察官の映像と共に「仲間が倒れているというのに、何をやってるんでしょうか」と怒る。
または半径300m以内は立ち入り禁止的な措置がとられたことに対して「そんなに広い範囲をとる必要があるのか」と、不満をぶち上げる。
そして別の警察官が射殺された時には、防弾チョッキのダメな点を散々語り合い、挙句の果てには「警察学校での指導内容を考え直すべきではないか」と、本当に身勝手極まりない発言を繰り返す。
「大変な失態だ」・「装甲車を使っていれば」・「アメリカなら・フランスなら」・「所轄との連携が」・・・。
少なくとも、現場の人間で苦しまなかった人間は一人もいなかったと思う。
目の前に人が倒れていて、一番苦しくもどかしかったのは現場の人間に違いないのだ。
結果的に、ああすればよかったかもしれないと思うことは、どんな場面でも必ずある。
よくあんなに無責任な事を言えるものだと思う。
とくに小倉智昭だけは、本当にアホ(小倉さんファンなの方すみません)だと思う。
前から思っていたけど、今回の件で心からそう思う。
細木数子と同じくらい、裏づけのない事を平気で言える人だ。
何と言うか・・・ねぎらう事が出来ない人種に成り果ててしまっているような気がする。
例えば学校に子供を預ける。子供の素行がおかしくなる。学校の方針を責める。
部活で監督が自分の子供を使わない。何故だと詰め寄る。
運動会で一番二番の順位をつけない。
全てがそうだとは思わないけど、頑張ろうという意欲を奪っている気がしてならない。
とてもデリケートな場面で、目の前の現実よりもその後に起こる批判に気を取られ、信念を貫けなくなっている。
一人の人間が亡くなったのだから、最悪の結果だと僕も思う。だけど、彼らを責める気にはなれない。彼らの気持ちを思うと、とてもそんな気にはなれない。


武士道ってやつでしょか…?
イチロー選手が向こうに行ってすぐの頃、卑怯だ的なことを言われてた時のことを思い出しました。
知ってます?