急いでニュースをつけた。心肺停止の状態だった。
その後の情報は途絶えたまま朝を向かえ、「ダメやったね・・・」と、テレビを見ていた同僚から聞いた。
特に応援していたというわけではないのだけど、何も考えず普段どおりに日常を過ごせていた事を考えると、伊藤市長の存在は逆に大きかったのだと思う。そして何より、失われてはいけない命であったと思う。もちろん彼だけではない、ほぼ同時期に起こったアメリカの銃乱射事件の犠牲者の方達も、どんなに不本意であったろうか。あまりに理不尽で悲惨すぎて考えるだけで底知れぬ恐怖がこみ上げてくる。
こうやっていればとか、ああしていればとか、責められるべきものもあるだろうし、それを告ぐなわければならない人もいるかもしれない。しかし犯罪は、本当に通常では考えられない状況下で起こるものかもしれない。
伊藤市長の事件で政府は「民主主義に対する挑戦だ」と言う。「政治家を殺すなどもってのほかだ」とも言った。
しかし犯人は民主主義に挑戦したんじゃない。人が人を殺した。自分のわがままのためにだ。
こういうことが起こると、すぐに「○○への挑戦」と言うけれど、現実的ではないと思う。国会では「決意宣言」なるものが採択される運びらしいけど、そんなもんみんなでやる事なのか?暴力には屈しないと、自分自身が決意していればいい。
22日には投票用紙に「再選挙希望」と書こうと思う。

